訪問記0
*研究とはあまり関係ありません
**初回のみNewsへも掲載していますが,次回からはギャラリータブで更新します
日々の合間に,趣味の範囲内に何か書いていこうかと思い立ったので,(特に意味はないのですが),忘備録というような形で残せたらと思います.
当研究室2期生を送り出そうとしている今,ふと,私の大学・修士課程での生活を思い出してみました.が,恩師の先生を含め,本当にいろいろな方々にご迷惑をおかけしたなぁと,というより迷惑をかけたことしか思い出せません.この場を借りて,お詫び申し上げたいと思います.(卒論と修論の研究成果は無事に学術誌へ受理されているので,どうか,許していただけると幸いです).
さて,変な書き出しになってしまいましたが,今思えば,私の指導教員だった先生に「1年間お休みをください!」と突然に言ったのは,なかなか勇気を振り絞ったことだったと思います..私が研究室に配属されてから間もなくの時だったと思います.なぜか,いやいや,原因ははっきりしているのですが,ある本を読んだら,いてもたっていられなくなったのです.1年の休みを宣言してからは,夜勤でバイト尽くしの日々でした.ひたすら働いて,午後は眠たい目をこすりながら卒論研究に励むという日々だったと思います.懐かしいのですが,2度とやりたくはない生活でした.
そして,いろいろなことがあり,時間が経過し,修士1年の秋に大学へ休学届を出しました.その後,身支度を整え,実家の近くの神社にお参りに行って,ザックひとつ,パソコン入れて9キロの荷物だけ持って,成田空港へ向かいました.
いったい何の意味があるのか?といろいろな人に思われていたような気ががしますが,それはそれでいいです.自分がやりたかったのですから.私は,割とポジティブなので周りの目はあまり気になりませんでしたが,それでも,1年海外を見たいので休みます,という身勝手な宣言に対して,「おう,行って来いと」送ってくれた恩師の先生には感謝しかありません.
とはいえ,はじめに降り立ったシンガポールの安宿で,ふぅ,と腰を下ろすと,さてこれからどうしようか,生きていけるのか,と,どうしようもない不安におそわれたような気がします.それから,計画なしの行き当たりばったりの生活がはじまりました.野宿したり,人に騙されたり,食中毒で入院したりして,幾度となく日本へ帰りたいと思ったものです.大変なことがあった一方で,数知れない「人との出会い」と「見たことのない景色へのめぐり合い」がありました.これらのおかげで,日本を離れて過ごした約1年間は(多くの日は宿代と3食の食費を入れて1000円以下でしたが),充実し,忘れることが決してできない日々となりました.そんな日々で,出会った風景や人々や町について,時間があるときに,紹介できたらと思います.
私の現在の専門は自然地理学の1つである水文学(Hydrology)ですが,やはり,この専門に行きついたのは「地理」への好奇心があったからと言えると思います.また,修士課程の時に,Environmental Diplomatic Leader Education Program(環境外交リーダー育成プログラム)を履修し,水問題に関連して環境外交を様々な留学生と議論した経験も大きいでしょうか.いずれにしても,水・環境・海外・地理は,私にとって非常に重要なキーワードであることは間違いありません.
本記事に関連するものは,ギャラリーのタブ内に気まぐれに更新していきたいと思います.興味があればぜひ訪問ください.
↑マレーシア,ペナン島にて.お供だったザック.よくこんな荷物だけで長期間を過ごしたものです.
↑ガンガー(ガンジス河).インドでは,喜怒哀楽が激しくないと生きていけないです.本当に楽しい国です.
↑ヨルダン,ペトラ(The End of the Worldと書かれていたところ.この世の果て?)
↑ボリビア,ウユニ
↑アルゼンチン,ペリト・モレノ氷河
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